北総線運賃の値下げ運動の経緯

北総鉄道は1979年運行を開始しました。当初は初乗り運賃110円(3km)でしたが、開業2年目に最初の値上げをして以来、1998年までの20年間に、9度にも及ぶ値上げを実施し、現在の近距離激高・遠距離逓増のいびつな運賃体系としてきました。
 当初は北初富-小室間の営業に過ぎなかったものが、1994年には千葉ニュータウン中央駅開業、1991年京成高砂-新鎌ケ谷間開業、さらに2000年には印旛日医大駅が開業、そして今年2010年には7月の成田空港への開通となりました。

この間沿線住民は北総線の運賃が高いことを問題視し、様々な運動を展開してきました。現在も千葉ニュータウンに居住する人は、約9万人と当初予定の1/4にしか過ぎません。色々原因があるにしても鉄道運賃が高すぎることが大きな原因であることは言うまでもありません。

2000年10月には、64,000筆の署名を添えて関係省庁に陳情し、国会での質問に鉄道局長は「当面値上げはしない」と答弁し現在に至っています。それ以後もニュースを発行し値下げを訴えたり、県への働きかけ、2市2村(印西・白井・印旛・本埜)への陳情、北総鉄道への葉書での要請運動、各駅前に大型看板設置、さらには通学定期の助成を2市2村へ求める、講演会開催など次々と手を打ってきました。2005年には2市2村による「通学定期25%助成制度」が5年限定でつくられ、通学定期に苦しむ保護者たちへの朗報となりました。

そして、「2010年には成田新高速線が空港へ通じる」ことが明らかとなり、「空港線の電車が走れば当然、大幅な値下げが期待できる」「今度こそ大幅値下げ=京成線本線と同じ運賃」を目指して、10万署名運動を展開しました。その結果2008年8月には107,000筆もの署名を携え、超党派の県・国会議員の後押しの下、国交大臣陳情を実施し「不公正な運賃であってはならない」との心強い返事をもらいました。

ところが、千葉県が主導し、2009年11月、「沿線自治体と県の拠出を前提とした、たった5%弱の値下げ」で合意され、運賃値下げ運動を進めてきた人たちは勿論、多くの住民は「こんなものは値下げではない」との怒りを表明しました。

それを受けて、2009年12月に京成電鉄が申請した「成田新高速線の上限運賃認可申請」は、現行北総線の高運賃=近距離激高・遠距離逓増の運賃をそのまま引き継ぐものでした。住民の怒りが爆発したことは言うまでもありません。年が明けて開かれた運輸審議会の公聴会では、多くの住民が様々な角度から、問題点を指摘しました。京成の申請運賃がそのまま認められるとはとても思えませんでしたが、疑問への回答らしきものもないままに、2010年2月には申請どうり答申され、翌日には認可されてしまいました。問題点を指摘した公述人にとっては信じられない結果でした。

認可の2日後に開催された「北総線の高運賃をこれ以上許さない!!沿線住民の緊急集会」には200名近くの住民が集まり、怒りの意思を表明しました。

その後、「自治体首長による5%弱値下げ合意案」は3月議会に予算措置が提案されました。値下げ運動の中心となってきた白井市議会では、3月議会で「北総鉄道への助成予算を本予算から削除」する決定をし、6月議会に再度提出された同補正予算案でも再び削除を決議しました。

北総・京成は7月17日開業の成田新高速運行にあたり、「当面は5%弱値下げを実施する、この先どうするかはわからない。元に戻すかもしれない」と脅しまでかけてきています。

北総・京成が国交省や県・URまで含めた天下りなどで便宜を図り図られる関係であることは、役員の相関図からも明らかです。これを打ち破っていく一つの道として裁判に訴える道を選んだことは沿線住民の意思でもあることを確信しています。